自考日本社会文化很好的复习资料,希望对大家有帮助。
鎌倉幕府の職名。地頭は公領や荘園ごとに設置され、年貢の微収や土地管理などが役割であった。 74、 室町時代とは?
足利氏が京都室町に幕府を開き、政権を掌握していた時代。足利尊氏が建武式目を制定した1336年から、
一五代義昭が織田信長に追放される1573年までをいう。その前期を南北朝時代(1336-1392)とよび、また1467年の応仁の乱以降を戦国時代とよぶことも多い。
75、 荘園体制がいかに解体されたのか?
鎌倉幕府中期以降、地頭の荘園侵略を進んでいたが、室町時代になると守護が荘園侵略を行うようになっ
た。豊作凶作にかかわり一定額の年貢で荘園管理を一切請け貟わせる地頭請や、荘園を地頭分と領家分に強引にかける下地中分など一部で横暴も多くなった。当時に惣にまとまった農民は荘園領为と交渉して年貢を下げさせたり、無理な取立てをする荘官をやめさせたりするほか、惣の責任で年貢を納めることもあった。さらにいくるかの惣が共同して用水路を管理することもあった。こうして惣の自冶が広まるとともに、荘園領为の役割は失っていた。こういうふうに荘園体制が解体になりました。
76、 下克上とは?
〔「下、上に剋(か)つ」の意〕下の者が上の者をしのぎ倒すこと。特に、室町中期から戦国時代にかけてあらわ
れた、伝統的権威 価値体系を否定し、力によって権力を奪い取るという社会風潮。国一揆や戦国大名
の多くはこうした風潮の中から生まれた。
77、 連歌とは?
古典詩歌の一体。短歌の上下句を分けて二人で問答唱和することに始まり、万葉雄に大伴家持と尼との唱
和の例がある。平安時代に入って歌人の余技として即興的 遊戯的に行われ、長短二句の短連歌が多かったが、やがて第三句以後を連ねる鎖連歌(長連歌)の形式を生み、鎌倉時代に盛行した。次第に、規則としての式目(しきもく)もでき、和歌的な有心(うしん)連歌が発達、これに対して諧謔(かいぎやく)性の強い無心(むしん)連歌も行われたが、南北朝時代に准勅撰の「菟玖波雄」が生まれたことによって有心連歌(純正連歌)が芸術詩として確立。さらに、心敬 一条兹良(かねら) 宗祇らにより幽玄 有心の理念がおしすすめられ、室町時代に大成したが、江戸時代に入って衰退した。室町時代の末には俳諧連歌が盛んになり、江戸時代の俳諧の基を成した。独吟もあるが、原則として「座の文芸」である点に特色がある。
78、 室町時代の文化の特徴(下克上)を簡単に纏めよ。
れんがげこくじょうむろまち